昔ながらのそばの食べ方
  ~そばがき,そば餅,そば団子


■蕎麦掻き(そばがき)、そばねっけ

昔からあるそば粉を使った料理で、「そば(蕎麦)ねっけ」とも呼ばれています。
日本でははるか昔、紀元前からそばの栽培が行われていたと言われていて、縄文土器遺跡からもそば(蕎麦)の花粉が見つかっています。日本人は、その頃から既に石の上で粒または粉にして食していたと言われていますが、鎌倉時代に中国から石臼や茶臼を使って粉を引く技術が伝わったことにより、そばを大量に粉にできるようなりました。

こうして挽いたそば粉を、当時の人々は水で練って固めた「そばがき」にして食べていました。そばを現在のような細長い麺、「そば切り」にして食べることが広まったのは江戸中期以降のことです。

「そばがき」は、100%そば粉で作られ、そば粉に水を加えて加熱し、箸などで手早く混ぜて粘りを出し、しゃもじで塊状にして、形を整えて作ります。水分が多かったり、加熱し過ぎたりすると、上手にできないことがあります。子供でも作れることから、そばの産地では、かつてはおやつの定番でした。箸で少しずつちぎりながら、そばつゆやしょう油、あるいは味噌をつけて食べていました。現在でも、「そばがき」を酒のつまみとして出そいているそば屋もあります。

「そばがき」は、水を加えて加熱し、そば粉のでんぷんを糊(こ)化させて作ることから消化吸収のいい食べ物です。また、そばの持つ栄養を、効率よく摂ることのできる食べ方と言えます。最近は健康食として、「そばがき」を見直す流れもあります。

世界の中でも、「そばがき」と似て、粉を用いた食べ物もあります。
乾燥させたトウモロコシを挽いて粉にしたものを粥状に煮たイタリアのポレンタ、トウモロコシなどの穀物粉に湯を加えて練り上げた東アフリカの主食のウガリなどです。

■そば餅、そば団子

現在、「そば餅」と言ったら、そば粉に乾燥させたごぼうの若葉などを混ぜて、つなぎに小麦粉を用いて練り上げて蒸した物で、葛餅(くずもち)やわらび餅に近い食感の和菓子を言います。

しかし、つなぎに小麦粉を用いることが普及したのは、江戸時代中期以降にことで、鎌倉時代や室町時代の文献に登場してくるそば餅は、「そばがき」を餅状に伸ばし固めたものを焼いた物でした。大阪冬の陣で、籠城中の秀頼軍の人々は、そば粉に水を混ぜて練って焼いた「そば焼き」に味噌を付けたものを、毎日食べて過ごしていたことを、淀殿の侍女が日記に記しています。

そばを麺状の「そば切り」にして食べるまでの間、人々はこのようにして「そばがき」を固めて、餅や団子にして食べていたのでした。

あまり知られていませんが、今でも地方のそば餅の中には、当時の素朴な味をそのまま残しているものもあります。

岩手県の「うちわそば」(そばがきを団扇型に固めたものを串にさして焼いたもの)、
青森の「いびきり餅」、岩手の「ほど焼き」、島根県隠岐の「そば焼き」(囲炉裏の灰で蒸し焼きにしたそばがき)、
長野県木曽郡の「芋焼き餅」(サトイモを混ぜたそばがきを焼き上げたもの)、
福島県南会津郡檜枝岐村の「でっち」(粥状にしたご飯を混ぜたそばがきを焼いたもの)
長野県南佐久郡川上村の「はり越し」(そばがきにネギ味噌とユズを混ぜたもの)

などがあります。

また、そうした「そば餅」の中には、漬け物や小豆餡(あずき)を「そばがき」で包んだものもあります。